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2004.03.12

怪獣の群れの中で愛を叫ぶ

怪獣には愛が必要だ。
愛の無い怪獣は悲しい。
いや別に怪獣が花束持って誰かにプロポーズしろとか、そんなんじゃなくって。

怪獣の桧舞台は、商業的文化流通媒体の上だ。映画とかテレビとか雑誌とか、とにかくお金が絡む舞台じゃないと、世に怪獣の広まる事はない。
それは第一次怪獣ブームがテレビや映画から始まった事に由来する。
日本で怪獣に対する認識はたいがいその辺に根ざしている。
なので世に広まる怪獣たちは、お金の絡んだお仕事として作られているのである。
一方、今の世の中は別段怪獣に注目している訳ではない。
したがって世の中に送り出される怪獣たちはそれ程経済的に成功する事は無く、お金を払う方は敬遠する様になったり、お金を貰って造る方もなんとなく厭世的な気分になっちゃっいながら製作を続けて行くのだったりする。

そもそも第一次怪獣ブームの中心となったのは子供たちだった。
なもんで、お母さんたちは「あんな気持ちの悪いものを好きになっちゃってウチの子供は大丈夫なのかしら」とか思い、お父さんたちは「うう、いつまでもそんな子供っぽいものに夢中になってないで、ちゃんと勉強しなさい」かなんか言って叱ったりするのである。
第一次怪獣ブームは結構でかいムーブメントだったので、怪獣に対する認識はそれが一般的なものとなった。

現在の怪獣ファンはそのころの子供が大きくなった大人の一部(筆者含む)と、テレビゲーム体験前のチビッコ達である。

しかし。

それじゃあ怪獣という物が映画やテレビの助け無しには存在し得ないのか?と言うと、けしてそんな事はない。

神話や伝承を語り部たちが人に伝える時に、怪獣の存在は耳をひきつける実にキャッチーな道具立てになる。その証拠に怪物の出現しない神話伝承というのはほとんどない。
また世界中で今でも未確認生物の目撃談が発表されて、穴埋め記事として重宝がられていたりする。
昔から現代まで、根本的に人間というのは怪獣に惹かれる素養を持っているのである。

言わば心のプリミティブな部分を惹きつける魅力を持っている。
しかしそうであっても怪獣が飯の種になるのはごく特殊な場合で、実際の生活で例えば家庭の危機を怪獣が救うとか、そういう効能は薄い。つまり無駄な存在。
生活苦しいのに無駄な物に構ってられるかよ、という訳である。

が、更にしかし。

物事というのはこだわる事によっていくらでも深くこだわっていけるようになっている。
怪獣も然り。

1:怪獣という物は心のプリミティブな部分に訴え掛ける。
2:怪獣は気味の悪い不気味な姿=ユニークな形状をしている。
3:怪獣という物は現実には存在しない。したがってその存在を感じる為には想像力が必要になる。

という怪獣の性質から、怪獣を好む為には必ず何がしかの精神活動を必要とするのだ。

怪獣の姿形を想像し、その鳴き声や行動を思い浮かべ、実際に怪獣を現実世界に存在させる為にはどの様な条件が必要なのかを考察し、怪獣が出現したならどの様な影響が現われるのかを考慮する。
他にない目を引くデザインがどんな物なのか考えてやり、もし映画で活躍させるのならどんな見せ場を作ればいいかを計算し、その存在にどんな意味を持たせるのか何を象徴させてそれをどう伝えるのかを創造する。

こだわればこだわる程、怪獣は知的で芸術的で哲学的な存在になっていくのである。
何よりも想像力、そして感情移入能力を高める。
そしてそれは怪獣を愛するものの精神を豊かにしていく事になるだろう。

漫然と流し見ているだけではその恩恵は受けられない。

だから怪獣には愛が必要なのだ。

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