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2004.03.31

怪獣以外

今夜、語ることは怪獣ファン一般の考え方とはまったく関係がない。私の個人的な考えである事を最初に断っておく。私がこう考えているからと言って、怪獣ファンは例外なくこう考えている訳ではないということを覚えておいて貰いたい。それは間違いである。

私は美しさというものを蔑んでいる。美しさ、特に人間の見た目の美醜という価値にはまったく意味がない。意味が無いばかりか人間社会にとって、害悪であるとさえ思っている。
人間が見た目の美しさを追求する時、それは悲劇しか引き起こさない。どんな説話や体験談を当たって見ても、美しさゆえに幸せになったという話は聞かない。物語の主人公が一般的に美しいのは、その方が聴衆を曳きこみ易いからでしかなく、物語がハッピーエンドを迎える為には、主人公の美しさ以外の要素が決めてとなる。ただ美しいだけの主人公の物語が不幸な結末になる例は数多くあり、最初から美しさを持ち合わせていない主人公の物語がハッピーエンドを迎えても、そこには何の不思議もない。

人間の持つべき尊い特質は、感情移入能力の高さ、思考の柔軟さ、そして精神力の強さで、それ以外は必要ない。その三つさえあれば人生はいくらでも幸福な物になる。
見た目の美醜など人生に波風を立てるスパイス以上の価値はない。スパイスが無くても飯は食える。スパイスは栄養素の内に入らない。

腕っ節が強いのも人生において重要度の低い要素であるが、それでも美しさよりはいくらかましだ。
腕っ節が強い者は、実質的に他人の役に立つ事ができる。
美しいからと言って人の役に立つ事は出来ない。せいぜい他人の本能欲求を利用した自己欺瞞を展開するに過ぎない。まだ財力の方が為になる。財力だって本当の力ではないのだが。

確かに見た目の美しさで、他人の力を借りる事は出切るかも知れない。しかしそれは感情移入能力や思考の柔軟さでも借りる事ができる。単なる個人の美しさのみで他人の力を借り続ける事は出来ない。
美しさしか持ってないようでは駄目だと言う事だ。

本物の美には普遍の要素がある。しかし人間の見た目の美という物は悲しいほど普遍ではない。今の基準で美しいとされるものが5年から10年で笑いのタネにしかならなくなる。ただ美しいだけでいつまでも語り継がれるのは不可能だ。語り継がれる美形というモノは美以外に強烈な何かを持つからこそ語り継がれるのである。

そろそろなんについて話しているのか察しのついて来た方もいるだろうか。

不幸にも美形に生まれついてしまった人間は、自分の外見に負けないように努力するからこそ人から愛されるようになるのである。そこの所を理解せずに目鼻立ちの整った形や、顎の線の造形だけに目を奪われているようでは、本質的に何も理解していない、という事なのだ。
もしもあなたが心を奪われたキャラクターの似顔絵を描く時に、その美しさや可愛らしさしか表現の対象にしないならば、その行為自体が、あなたの大事なキャラクターに対する冒涜になっているのだ。

それなのに何故、ある程度の技術を身に付け人よりましな絵も描けるようになっているのに、ステロタイプなパターンの顔しか描こうとしないのか?
同性のキャラクターを何人か並べた時に、メガネやアクセサリー、髪の色や髪型、目を吊り上げたり垂らしたり、顎を伸ばしたり丸めたりするだけで、別人にしてしまうのか?
それはキャラクターに対する冒涜であり、人間性に対する冒涜である。
いくら、ちょっとした微妙な仕草を捉えていても、服装の質感を上手に表現していても、観察眼が優れている事には決してならない。
いつまでもそんな事を繰り返し、そこから成長しようとしないのであれば、蔑まれて当然なのだ。

以上が私の“萌え”に対する嫌悪の全てである。

だからさ。
どっかでみた事のあるような女の子のモデリングばっかりやってないで、オリジナルの怪獣作りなさいよ。
<って、それでまとめられると台無し(^^;

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