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2009.12.06

作品に大事な事の為に。

最近の特撮映画が面白くない、とか、最近の怪獣に名獣が居ない、とか、最近のアニメはちっとも記憶に残らない、とか言われるのはなんでだろう?
映画とか技術の発達は目を見張るばかりで、画作りとか表現力とか格段の進歩を見せてるのに。
怪獣なんて、造形の段階から昔は考えられないほど、豊富な材料を選択できるから、デザインやキャラクターの再現性とか相当忠実に思うままに出来るようになってるのに。
アニメなんか、絵がヘタるとか紙芝居とか過去の話になって、コマの枚数とか気にならないくらい滑らかな動きだし、絵も、昔では考えられないくらい綺麗になった。
絵が綺麗と言えば、最近のイラストの絵は綺麗だねぇ。しかも細かく書き込んである。
そういえば、最近の漫画はずいぶん長く続くようになったな。4~5巻で終わる話とか短いような印象だ。
何故だろう?
デジタル化の弊害?いや、違う。
そう思うのは表面しか見ていないからだ。
もっと重大な事実がある。
最近まったくおろそかにされているもの。
それはポイントの重要性だ。
情報量ばかりが多くなってポイントの重要性を意識していないんだと思う。
いや、最近のこの辺の情報量の多さってば、物凄いものがあるよ。
贅沢感と満腹感を刺激されるよ。でも、ガツンと来ないのはポイントが情報量に埋もれて薄くなってるからだと思うんだ。
推敲の技術が失われているんじゃないかと思う。許されるから何ぼでも情報を詰め込む風潮になってるんだな。
映画やアニメには肝が中心に据わってないと、そしてその肝を生かす形で各場面が構成されていないと駄目なんだ。
漫画も同じ。ほとんど全てのページが肝を生かす為にある。
怪獣でも、キャラクターの肝が生かされるような見映えでなければ、いくらとげや皺や腱とか増やしてもゴチャゴチャするだけなんだ。
全ての表現が中心である肝を生かす方向に働いてないと、絶対にガツンとは来ない。
情報を盛り込むのは確かに大変だろう。それは物量だ。戦争なら物量が物を言う局面も充分考えられる。しかし芸術は別だ。曲がりなりにも芸術の端っこに位置するものなら、物量で勝負するのはありえない。それは何故かと言うと、物量では結局の所量の多さしか伝わらないからだ。
個々の表現が素晴らしくても、その量が増える事によって、結局は満腹感しか、過剰な印象しか残らないのだな。
デジタル化や、技術の進歩によって、情報量を増やす苦労は減った。
だからもっと増やす、じゃ無くて、その中からポイントとなる物をピックアップする、肝が生きるように構成し直す、そして贅肉はどんどん弾く、それが推敲だ。
贅沢ではなく研ぎ澄まされた美しさが、芸術には必要だ。
何でもかんでも詰め込んだオモチャ箱は確かに楽しい。
しかし、その詰め込まれた色とりどりのオモチャたちが、そのオモチャ箱を所有する少年の人間性を表すパズルとしてぴったり嵌ったら、それはもうただのオモチャ箱じゃなくて、立派な芸術作品になる。
手数を沢山出して大人数でぼこぼこにして勝利するより、最少の人数で、研鑽した技の一撃で勝利する方がかっこいい。
宝石や装身具や豪華な衣装でごてごてと飾りつけ、念入りに素顔が解らなくなるくらい化粧を施して、結局美人だったんだかどうだか判らなくなるよりも、ポイントを絞ったファッションで個性を引き立たせた方が美しい。
つまりそういう事。
思い切ってざっくり情報量を減らしてみると面白くなると思うよ。
まあ、ポイントをちゃんと掴んでるのが大前提だけどな(^^)

あと、芸術じゃなくて見世物商売だというんなら話は別…って訳でもないな。
結局の所つまらなければ次は無いしな(^^)

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